GW突入 日本国中がGWに突入した5月2日。早いところでは4月29日から連休に突入、人によっては5月の6、7日も休んで11連休のいわゆる
スーパーGWという凄いことになっちゃってるらしい。なんでも平均の連休日数も例年より多めとのとこで、海外脱出の方も多かったようである。長く休むのは多いに結構、思いっきり羽を伸ばすのは良いことである。
金がありゃあなあ、
でやんでぃ。
しかしGWに限らず大型連休というものの問題点は、
ミソも糞も一緒くたに休んでしまうというところにある。だから
観光地はチョー混雑する。そんな混雑にぶち当たるたびに、
こんにゃろーもうちょっとバラバラに休めんもんかいなと思うのだ。巨大な駐車場だって皆の休日が同じ日だから必要なんで、休日がバラバラだったら、きっとその何分の一かの大きさで済んで無駄が省けるのだ。お互いの休みがずれてしまっていてはビジネスにも支障がでるのかもしらんが、そんなのはそう思い込んでいるだけで、きっと意外になんとかなっちゃったりするものじゃあないかと思うのだ。国によっては宗教の関係で休まなきゃいけない日が決まっちゃってるけれど、日本ではそんなことはぜーんぜん関係ないのであるからね。仲間と一緒に遊びに行くということも出来にくくなるので困ることもあるかなどとも思うが、まあそれは気軽に休暇を取るということで対処すればいい。今だって土日が休みじゃない人は幾らでも居るんだから。
龍の巣倶楽部第1回全国オフ さてさて、僕のいつものフィールドの
富士山麓もさわやかな新緑の季節を迎えて、この
殺人的GWに訪れたい観光地の一つに名乗りを上げてしまう。だからこの時期僕は、朝早くだけ出かけるか、もう諦めて出かけないか、それとも渋滞を擦り抜けることができるバイクでちょろちょろ走り回ったりする程度で比較的大人しくしているのだ。でも、でも今年は珍しく、うん、本当に珍しく早くから予定を入れていたのでありました。
その予定とは、この
「山の記憶」のなかにもたびたび登場する
ラインハルト氏(以下ハルト氏。これはネット上のハンドル名で、ドイツ人でもオランダ人でも宇宙人でもなく日本人である。)と、その仲間達で形成される
龍の巣倶楽部と名付けられた仲間達とのオフ会である。それがなんと4日間。僕は
女房ほったらかしの遊び人と化す。もっとも遊び人なのはGWに限ったことではなく普段からそうなので、
まあなんというか、その、
いや、どーでもいいや。よ・・・よくないかも。
今回のオフは仲間の中では
「龍の巣倶楽部第1回全国オフ」と名付けられていて、総勢10人、関東、東海だけでなく、北海道、富山、京都からの参加もある、そんでもって今回全員と初対面なんてメンバーも居るという壮大で興味津々、戦々恐々、五里霧中のイベントであるのだ。ホストはもちろん
HP龍の巣主宰のハルト氏である。
オフは前半の二日間が
燕岳への登山、後半が
上高地小梨平キャンプという日程。僕はフル参加であるが、メンバー全員が全日程に参加するわけではなく、それぞれ都合の良いところに参加できる仕組みになっている。燕岳へはラインハルト夫妻(以下ハルト隊)と千葉在住のととべぇ氏が出陣。
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これが燕岳!
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春山入門コース
燕岳はアルプスの入門の山としてその名を知られた山である。無雪期はもちろん、春もその位置づけは変わらない。それは
中房温泉まで車で入ってしまえば短時間で稜線に上がれてしまうこと、そしてコースが比較的安全なことに加え、素晴らしい小屋の勢ぞろいしている北アルプスの中にあっても
一際抜きんでたサービスを誇る「
燕山荘(えんざんそう)」の存在が大きいと思う。
僕は20年近く前、営林署の
自然保護パトロール隊員(いわゆるグリーンパトロール)として上高地周辺の山小屋を一ヶ月ほど泊り歩いたことがある。そのとき燕は残念ながら僕のパトロールエリアから外れていたので訪れることは出来なかった。その後もテント泊ではそこを訪れたことはあったのだが、燕山荘に泊まることはなかったのだ。
今回は小屋泊り山行にしたのは、久々の歩きでテントを担いで登る体力に不安があったこと、それに僕の古いくたびれたテントでは、この時期の稜線上の幕営が不安だという、二つの理由が大きいのだが、もうひとつ
一度燕山荘に泊ってみたいという思いも大きかった。
今回のオフはまさに僕のような
雪山初心者にとってはまさにうってつけのオフになった。同じくオフフル参加のととべぇ氏も小屋泊、剛腕ハルト隊は普段どおりのテント泊である。
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登山口へ 5月1日夜の中央高速。しかしGW。いつもよりも心なしか車の量が多い。22時頃、豊科I.C.を出たところで、ハルト隊に連絡をとってみたところ、どうやら渋滞にはまっているらしい。時間が合えば登山口まで一緒にと思っていたのだがこれは無理そうだ。単独で中房温泉へ向かうことにする。中房温泉は一昔以上前にバスで来ただけで、車で来たのも始めてだったのだけれど駐車場はすぐわかった。この時間でも何台かの車のライトがチカチカしていたからである。さすがはGW。こんな立派な駐車場があるなんて知らなかった。これなら気軽に車で来れる。車を止めてからぐるりと見回ってみたが
ととべぇ氏のオデッセイは見当たらない。まあ明日になれば会えるでしょうと、ひょいと横になったら
すぐにグーガー寝てしまった。
いよいよ出発 軽い朝食をとって、駐車場からほんのちょっぴり上の登山口に着いたのが5時45分頃。ハルト隊は5時には出るということだったのでおそらく既に出発しているはずだ。
ととべぇ氏は6時頃出るよなんて話していた(いや、正確には書いていた)のでそろそろ来るかと思ってキョロキョロしたが、あの巨体はどこにも見当たらない。もしかしたら
ハルト隊と合流して先行っちゃったかなとも思い、出発することにした。
この登山は一応オフ会の一部としての位置づけだが、ハルト隊、ととべぇ氏、それと僕の3隊は互いに完全に独立した形になっている。お互いをザイルで結ばなくては危険だというような山は別として、自分のペースを守り自分の責任で行動できるこのスタイルが僕は好きだ。
今日の僕の装備は、靴は
アゾロの古いプラブーツ、ザックは
ダックスの安い大型ザックといういでたちである。このプラブーツは僕の足には窮屈で長時間歩行すると左の
土踏まずの皮が必ず剥がれる。なにか貼っておこうにも、そうすると今度はもうきつくて履けなくなる。ちょっと削っちゃおうかとも思ったけれど、また違ったトラブルが起こると嫌なのでそのままにしてある。この靴は今回の山行でお役御免にするつもりだ。プラブーツは古くなると強度が低下して割れることもあるので、それも心配なのだ。
ダックスのザックは、前のザックが壊れたときに仕方なく買った安いものだ。今や中型以上のザックならほとんどのものに付いている
アジャスト機構がほとんどついていない。それにフレームも入っていないからふにゃふにゃである。体力のないことの言い訳にするのではないけれど、このザックは
最新の装備の2割り増しくらいは疲れるんじゃあないかと思ってしまう。
懐かしのキスリングよりはそうとうマシでしょうが。全部詰め込んでの重さは約22kg、ほんとうはもっと装備は少なくてもいいのだけど、このザックは
ある程度入れないと形になってくれず、サイドに三脚が着かないので仕方がない。今回は夏山テント山行復活のための訓練だと思って担ぐことにした。
撮影機材は35mm一眼レフだけ。ボディーは
(旧)F-1と
NewF-1の二台。レンズは
SIGMA28mm/1.8、FD35mm/F2.8、FDマクロ50mm/F3.5、FD80-200mm/F4Lの4本である。三脚は軽量の
マンフロット#190を携行した。もともとは28mmではなくFD24mmが本来の僕のシステムだったのだけれど、1年くらい前にレンズが傷んでしまい使えない状態になってしまった。どうしても24mmの画角が欲しいときは、中古でgetしたTokina24-40mm/F2.8を携行するが、今回は不要と判断して28mmで切ったのである。もしこれが涸沢ならば24mmは外せないところだ。
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歩き始めはは元気そのもの。
20kg overの荷物は本当に久しぶりなのだが、それにしてはまずまずの調子だ。第一ベンチで少し休憩。おそらく標準コースタイムぴったりくらいのペースであったと思う。これなら大丈夫。
ブランク長いわりになかなかいけるでないのと安心した。
むろんこれが甘かったのは言うまでもない。
さらに進むとハルト隊の片割れ
ちゃこさんを発見。すでに結構お疲れの御様子である。ハルト隊長はテント場を確保すべく先行しているとのことであった。
ここからは僕がちゃこさんの前に行き、途中で休憩していると、しばらくしてちゃこさんが到着。すると僕が出発というパターンの繰り返しになった。僕は優しくて待っていたいたわけでも何でもなく、この時点で
もう相当にかったるいぞーちゅう状態に陥っていたのである。
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富士見ベンチ付近
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槍ケ岳
ダケカンバ
合戦尾根を行く
合戦尾根から燕岳(右奥)を望む
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いよいよ稜線へ 富士見ベンチ(ベンチは雪に埋もれて見えなかったが)で休憩中、ちゃこさんがハルト隊長に無線で連絡をとった。ザックもろとも雪の上に寝そべり甘ったれたような声で
「やっちゃぁ〜ん」
と呼びかける。どうやらハルト氏はちょうど合戦小屋に到着したもようであった。
「富士見ベンチで仙人さんと御飯食べてるのぉ〜」
「え〜と、ととべぇさんは
行方不明ですぅ」
。この台詞について僕ら富士見ベンチ側ではなにも気に止めなかったのだが、後に明かされた証言によると、このとき無線を受けていたハルト隊長は
赤面・・・穴があったら入りたいぞ状態だったらしい。そういえば明らかに声のトーンがおかしかった。だから僕らは
「おにぎり2個しか持たせなかったからお腹空いちゃったのかなあ」
などとお気楽モードで話していたのだが、実はそーではなかったのである。無線というやつは、イヤホンでもつけていないかぎり周りの人に実によく聞こえる、しかも聞こえた人は、すぐ側で実際に話している声よりも、
なんとなく耳をそばだて妙な集中力を発揮して聞いてしまうものなのだね。そんなところで
「やっちゃぁ〜ん、
仙人さんと御飯食べてるのぉ〜」
である。
「なぬー
仙人とぉ」
「仙人と
飯くっとるぅ〜?」
これを耳にした人には
この人のパートナーは疲労で幻覚を見てしまっているのではないだろうかと思うだろう。これはやばかった・・・ほんとうに。
今日の教訓
壁に耳あり無線は筒抜け
【無線は注意しないと
大恥をかく】
。
合戦小屋で一息入れて最後の急登を登りきると稜線にでて
展望がぐっと開けた。 もうお昼に近かったけれど、槍もしっかりくっきり見えている。
むふふ、これはもうこれ以上ない上天気といえよう。
こうなるともう
写真を撮りまくりである。でも実際は相当にへたばっていたので写真を撮りながら休憩している、いや正直に言って休憩するために写真を撮っているというのが本当だった。
ようやく山荘前に到着。
山荘前からは花崗岩で装飾された燕岳の姿が一際美しく見える。美しい、ほんとうに美しい。さっきまでの登山道からは、ほんの小さな稜線の盛り上がりに、花崗岩の柱がちょろちょろ寄り集まっているだけのように見えたのに、この様子の違いはどうだろう。燕山荘の主人、
赤沼さんが自分の小屋から美しく見えるように彫刻したのだと言われても信じそうなほどの
極上の容姿だ。山に限った話じゃないけれど、自然の造形というものにはいつもながら感嘆してしまう。
人間の作りだす芸術など、それのほんの一部を模倣しているに過ぎないような気がしてくるのだ。
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燕山荘から山頂へ いよいよ燕山荘へ。受付の女性(林さんでしたっけ)は
明るく元気で気持ちが良い。受付を済ますと従業員が部屋(いわゆる蚕棚だが)まで案内してくれる。案内の説明も歯切れがよく好感がもてる。忙しいなかでもいたずらにバタバタ走り回るのでなくキビキビと動いておりよく教育訓練されていると感じる。設備だけをとってみれば、
穂高岳山荘や白馬館など、ここよりも豪華なところはあるけれど、
接客態度まで含めればやはり燕山荘はトップクラスの山小屋の一つといって間違い無いと思う。
ちょいと腹ごしらえの後、ハルト隊とともに
燕山頂へ向かった。山頂は山荘から北へ40分程度の距離。ここは写真を撮りながらの超スローモー行動となる。ハルト氏はペンタックス645という中型カメラを持ち三脚を担いで歩いているが、僕はこのとき三脚無しの手持ちオンリー。お粗末といえばお粗末な装備といえるけど、天気が良く、しかもあたりは雪だらけときていて高速シャッターが切れるので、三脚を使う気にならなかったのである。気持ちがいい、最高の登山日和。写真を撮るよりノンビリこの風景を眺めていたいそんな気分だ。それでもついつい
同じような写真を何枚も撮ってしまう写真家の性が悲しい。
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森林限界
豊富な残雪
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さて稜線からの西側の展望・・・右から
前穂、奥穂、北穂、そして
大キレット、南岳、中岳、大喰岳、槍ケ岳、そこから北鎌尾根が急峻に落ちている。西鎌尾根の向こうには飛騨の秀峰
笠ケ岳もちらりとその頭をのぞかせる。その右にはゆったりとした稜線の
双六岳、三俣蓮華岳、ちらりと
黒部五郎岳。そして
鷲羽岳。裏銀座コースと呼ばれる
野口五郎、ワリモ岳は目の前で一際大きい。そしてさらに右手遠くにはどっしりとしたお馴染の台形、
立山。その横に
剣岳。
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途中槍ケ岳に向かってカメラを構えファインダーを覗いていると、ファインダーの下を横切る巨体が・・・
おおっと、ととべぇ氏登場だ。ここからは4人で山頂へ。
山頂まで登ると北側の展望も開ける。
北燕岳はすぐそこ、北燕までの稜線には夏にはコマクサの咲く斜面がある。その向こうには
餓鬼岳。さらに北に霞むのが
爺ヶ岳、鹿島槍ケ岳、左側に見える黒い尖峰は
針ノ木岳。
こんな大展望を楽しみながら山頂での憩のひととき。あの山ではどうだったなどと思い出を語り合って懐かしんだり、そしてまた話しながら逆に行きたい場所がどんどん増えたりしてくる。ぼくは雪の山ってのにほとんど出かけてないので、
立山も穂高もドンドン行きたい〜
って穂高は大変だろうな。山頂での語らいはネット上での話とにたようなものなんだが、
「仙人」とか
「ととべぇ」とかいう名前が声高に語られるのを周りの人々はどう聞いたのであろう。
やっぱり怪しいのだろうなあ。
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槍ケ岳遠望
燕岳への往復、あと食事後の夕景を撮ったのだけどそのフイルムをどこかで紛失してしまった。山頂から針ノ木岳とか剣・立山とかいう写真を紹介できないのはそのせいだ。夕景はたいしたことはなかったので落胆するほどのダメージはないのだが、折角撮ったのだからやはり惜しい。
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小屋の食事 さて小屋に戻って夕食。今日は3回戦あるということであったが、小屋への到着の早かった僕は17時からの一回戦目。この時間だと食事が終わって外へ出てから夕焼けの撮影ができる。メニューは下界と変わらないといっては言い過ぎだけれど、
おかずも豊富でなかなか立派なものである。同じテーブルに座っていたおばさんが、
「南アルプスの某小屋の食事はひどかった、御飯は硬いし、カレーライスだけでおかずが無かった」などと話しはじめた。僕に言わせりゃ
それが普通、いや飯を食わせてもらうだけでもありがたいくらいなのだけど。「南アルプスはこれからだねえ」と隣のおじさんまで相づち。そのおばさんの言う小屋にも数年前に泊ったことがあるのだが別段なにか劣るとは感じなかった。
あ、そうそうその小屋の建物が今年の春先の大雪で潰されてしまったそうな。新しい建物だったのにな。あらま話が脱線、なんだっけ、そうそう
北アルプスの一部の小屋が異常に豪華だって話。うん、それに
南アルプスの小屋を今以上に豪華にする必要はないとも思うんだな。旨いものが食いたければ自分で食材を担いで登り、自分で作って食えば良いのだ。
どこもかしこも便利で快適にする必要は全然無い。不便なところに行きたくなければ行かなきゃいいんだし。
環境に与える影響にさえ考慮できていれば小屋は豪華であっても構わないと思う。それは基本的にサービス業なのだから至極当然なことでもある。
僕がずっと気になっているのは同じ山域だと豪華な小屋とそうでない小屋とで料金がほぼ同じだということだ。立地条件や客の多少によってコストに差は出るから一概に設備だけで値段は決められないとは思うが、やはりここは差を付けて欲しいのである。欲を言わせていただければ、
豪華な小屋の値段は今のままで旧態依然の小屋の宿泊料を下げて欲しい。
夕景撮影 食事を終えて外へ出たが、夕景はさっぱりダメの様子。キョロキョロ見渡してみるがハルト隊長は見当たらない。まあしかしせっかく三脚も持って出たので少し撮ることにする。登山道から斜面を少しくだって程よいアングルを見つけ、北側の燕、南の槍をそれぞれ狙ってみた。
北鎌尾根から突き上げる槍は縦位置でフレーミングすると迫力が増す。ところが派手な(山のジャケットは基本的にどれも派手なのである)ジャケットを着たカメラマンが少し先の稜線の先の方に居てしっかりと画面に入ってしまう。どく様子もないのでしょうもないなあと思って一応シャッターを押して登山道に戻った。するとテント場のほうからちゃこさんが歩いてきた。彼女も隊長を探しているようだった
「もしかしてあれかぁ〜」先ほど、僕のフレームに入ってしまったカメラマンである。無線で連絡をとってみるとやはりそうであった。しかしここで先ほどの無線の教訓が生きていない。連絡に手間取ったちゃこさんに隊長が
「すぐ先に滑落するのに具合のいい斜面があるから、落ちてしまえ、ばかやろう」と無線で叫んだのである。これが周辺に居る人々にまる聞こえで大受けしてしまった。まっこれは恥ずかしい思いというよりも
笑いをとったということで良しとしよう。しかし
やっぱり無線は怖いものであることは確かだ。
赤沼さんとアルペンホルン 19時半から、
燕山荘恒例、小屋の主人赤沼健二さんの独演会+アルペンホルンの演奏会があるということで、食堂へ。ととべぇ氏も来るかと思っていたのだが来ない。呼びにいこうかしらと思ったけれど一度イスを立つと座れなくなりそうだったので止めてしまった。あとで聞けばあまり調子が良くなかったとのこと。
いよいよ赤沼さん登場。まずは挨拶からはじまって、
春の小屋開け作業の話、残飯をあさりに来る
熊の話、それに関連して
生ゴミ処理装置の開発導入の話、そして新素材を使った
一人用の寝具の開発―これは今シーズン100セットだけ導入されるらしい―の話し等々。とても楽しい語り口で、食堂からは笑いが絶えない。しかし楽しい話の中にも、客のことを考えたサービス、そして環境影響を考慮しながらの小屋の発展の研究に努力している様子が言葉の端々からうかがえた。
この人柄、この行動力あっての燕山荘の人気であるのだなあと改めて思ったのである。
アルペンホルンは、歯の治療をしたとかなんとかであまり調子が良くなさそうだったけれども2曲演奏。穴がなく口だけで音階を出すのだというこの楽器はどても難しいそうだ。
消灯は9時。寝床に入って横になってすぐ
左右から巨大ないびきが・・・。
これじゃぁ眠れないでないの。耳栓は持ってきていないのでティッシュペーパーを耳に詰めて代用にしてみるもののまるで効果がない。なにしろ騒音の発生元が近すぎる、耳元から20cmも離れていないのだ。おまけにあろうことか僕の方を向いて寝ているのである。
うんにゃろぅ〜、
なんか恨みでもあるんかい静かにしていると布団を低周波の振動が伝わってくるのがわかる。
うむむ、これはやばい、ほんとうに眠れないではないの。あっそうか、そうか、
逆を向いて寝れば良いのであった。僕は体勢を180度転換。皆の足の方に頭を向けて寝ることにした。これならば寝れそうである。夜中に気がつくと僕の足がとなりのおじさんの顔にくっついたり、はたまたおっさんが僕の靴下を抱いて寝たりしていたが、本人は気がついてなさそうだったのでまあ良しとしておこう。
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朝 翌日、ほんとうは大天井への稜線を少し歩こうかと話していたのだが、天候が今一なのと、
思いのほか昨日の消耗を引きずっており、それはやめておいた。かといって早く降りてもしょうがないので、皆でお昼を山荘で食べてから下るということにして、のんびりとした朝を過ごした。なんでもハルト氏は
雷鳥をゲット(捕まえて食ったわけではない)したらしい、
雷鳥が見た〜いと叫んでいたととべぇ氏はそれを見ることが出来ず、えらく落胆していた。で、そのかわりに空しくイワヒバリを追いかけていた。
山荘前で出発する登山者を沢山見送ったのだが、意外だったのは
大天井、常念へと縦走する人たちが大変多いことであった。そのなかには見た目にはほとんど素人と思えるおばちゃんの団体も―さすがにリーダーは付いてはいるが―なんだかとても心配になる。おばちゃんは姦しい、そんでもって朝食の時に「今日の行程は何時間くらいかかるのでしょう」などとリーダーに聞いたりしている。うーむ、
よくそんな状態で山に登れるものである。というかリーダも
こんな団体のリーダーなど良く引き受けているものだ。天気が良ければ、楽しいハイキングだったねで終わってしまうのだろうが、天候急変したらどうなってしまうのだろう。出発の時装備を見てみたらおばちゃん達のほとんどはピッケルを持っていない。アイスバーンになっているところもあると言われている稜線。
スッテンころりんしたらどーやって止まるのだ。まあ持っていたって止められる保証があるわけではないけれど、手段を持っていないよりはマシではないか。この日、西穂高岳では滑落で一名亡くなったそうである。幸いにもこのおばちゃん達は無事だったらしい。
山荘ではやいお昼。ちょっと食堂の掃除を急かしてしまったような気もした。すんませんねって、読んでないね。ハルト隊長は下界では夕食には精進料理(コーンフレークとも言う)を食べるなどして摂生に努めているらしいが、
オフのときには実に良く食う。ほかのメンバーより大抵一品多いか大盛りを注文する。この昼食もてんぷら蕎麦とライスを合わせて注文(ラーメンライスが無かったからと言ってた)し、従業員を狼狽(なんで狼狽するのかがよくわからなかったが)させたのである。すみませんねって、読んでないっちゅうの(小屋の従業員の皆様)
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燕岳
大天井岳
稜線の残雪
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下山して温泉だア! 下山は順調。各ベンチで休みながらも
良いペースで下山ができた。それにしてもハルト隊の荷物は
でかい。ほとんど荷物だけが歩いているように見えるのが可笑しい。 ちゃこさんがそのデカイ荷物を背に小走りにハルト氏の後ろをついて行くのもほほえましい。 全員無事に下山。この後18時半に篠ノ井線田沢駅でメンバーを一人ピックアップ、そのあと20時に松本で今日東京からやってくるメンバー3人と合流する段取りになっている。まだまだ時間があるので、まず体を清め軽く打ち上げをやってしまおうということになった。温泉は僕の案内で
穂高温泉郷しゃくなげ荘へ。ここには公衆浴場と旅館の内風呂という二つの選択肢が待っていた。ともに400円。公衆浴場のほうは(僕は)入ったことがあったし、ハルト氏も旅館のほうが構えが良いとかなんとか言うので、その旅館のほうに入ることにした。しかしこれがどうやら
失敗であった。
風呂を自分のうちの風呂と勘違いしているようなオヤジがいたのである。
「客が多いからお湯が温くて汚ねえ」と言って、水を止めて、さtらに二つある湯船の片方のお湯を止めてしまい、自分の入る湯船のほうにお湯を全開で注入する作戦を敢行。しかしここのお湯はどう考えても温くはない。むしろ熱いくらいのお湯である。これをさらに熱くしようというのだ。僕はキツイプラブーツのせいで左足の裏の皮が大きく剥けていたので、これはもう突き抜けるような熱さ=痛さであった。 オヤジの傍若無人ぶりはさらにエスカレートして、
やれイスを片づけろだの、てめえのケツを流していけ(注:座った椅子をお湯で流して奇麗にしていけという意味であると思う)だのと、うるさいことこのうえない。そんな文句を垂れながら、自分で洗い場を歩きまわり
椅子や桶を回収して入り口付近に奇麗に積んだりしている。いやはやなんとも妙に几帳面なオヤジであった。
龍の巣倶楽部全国オフ上高地編に続く
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龍の巣隊長ラインハルト氏による
「北アルプス・燕岳・・・・1998/5」
ぜひ読むべし
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