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山の記憶

1982-

山との関り

1982.jpg  僕が山らしい山に登り始めたのは大学に入ってからだ。信州という山登りにとっては恵まれた環境に住みはじめたのが大きかった。それまで「山」や「登山」を意識することはなく、おそらく北アルプス、南アルプス、中央アルプスがそれぞれどの山地を指す呼称なのかも知らなかったと思う。たぶん槍ケ岳や穂高岳という有名な名前さえ知らなかったのではないだろうか。「あれが常念岳」と先輩に教えてもらったのが山との関りの第一歩だったかもしれない。

 大学では、鉄道旅行やサイクリング、ハイキング、登山なんでもありのサークルに入った。当時は「バックパッキング」というのが少しはやっていて、「登山」よりも「高さ」に拘らず自然の中に入るというそれに私は魅かれ、バックパッキング班というのに入ったのである。山道具の選び方(買い方?)、使い方、地図の折り方なんかは、このサークルの中で覚えていった。そしてもちろん信州の山の素晴らしさも・・・。サークルのメンバーと最初に出かけたのは南信濃の「田立の滝」だった。いやそのまえに「聖高原」を少し歩いたような気がする。当時私が編集したサークルの文集が手元にあるのだが、この二つは行った記憶だけで文章として残っていないので詳細がわからない。結局私が参加したのはこの二つのハイキングだけで、2年目以降はサークルとは疎遠になってしまった。

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松本営林署 自然保護指導員

 大学一年の夏、僕と山とを急速に結びつける出来事があった。「松本営林署 自然保護指導員」のアルバイトである。約一ヶ月山の中、小屋の宿泊はタダ、食事は格安、一週間に一度上高地の本部に報告に下る以外は、ほとんど単独での自由行動という、山好きならば涎が出そうな処遇、これでバイト代まで手に入るのだ(安いが)。この一ヶ月の生活が、私の山との関りを決定づけたといってもいい。

 翌年の夏、テントを背負い、食料を背負い、単独での後立山縦走。苦しい登りでは「もう二度と来るものか」と思い、下山中には「次は何処へ・・・」と思い巡らせる。その繰り返しで、在学中は夏と秋に数回づつのテント山行をするのが習慣になった。

富士山麓へ

 社会人一年目には富士山麓に住まいを移したこともあり、富士登山を経験。ただし、富士山には特別な思いや拘りはなく、一番近い山というだけのこと。私にとっての山は、信州の山であり日本アルプス以外にはなかった。だから折りを見ては愛車ジムニー1000を駆って信州行脚を続けたのだった。職場に山のベテランがいたこともあり、初めての冬山も体験したのもこの年である。

 翌1989年、明らかに身体の変調を感じる。結局は予定通りにいかず途中で降りてきた南アルプスの山行の後、背中の痛みが長く続いた。そして他の事情も重なって、これ以降、山とは疎遠になってしまった。山で痛めた背中の痛みはそのうち消えたものの、その後、首、肩、背中、腰、足首などが痛みはじめ、これは悪化こそすれ直ることはなく現在に至っている。

 しかし1992年、茅ヶ岳を皮切りに再び山を歩きはじめた。夏には久しぶりのテントの重さに喘ぎながらも、鳳凰にも登った。
 今は、近い山、歩かずにのんびり出来る山へ出かけることがほとんどだけれど、一生これはやめられないだろうと思う。



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