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剱・立山

2000.7.24〜28

 

7月26日

 3日目の朝。午前2時には起きて、夜明け前までに別山乗越まで上がってしまおうかと、ほんのちょっぴりは思ってはいたのだけれど、怠惰で、意志薄弱カメラマンの僕には当然無理な計画であって、起きたのはすでに夜明けも近い4時であった。

 飯を食っている間に群青の空は青になり、そしてようやく日帰り山行の支度を整えた頃、立山三山の上、東の空に沸き立つ雲が曙色に染まった。35mmカメラだけでドタドタと撮影して(なんといい加減な)、雷鳥平を5時出発。

 まだ半ば残雪に埋もれている称名川を渡って雷鳥坂を上った。坂の半ばに達したころだろうか、奥大日岳に朝日が届いた。一番の光を受けたまさに大日如来だ。

 6時15分、別山乗越に建つ剱御膳小屋前に到着。今日初めての剱岳の姿。そして遠方には白馬から鹿島、爺へと連なる後立山の峰々が連なる。振り返って見下ろせば残雪でまだ真っ白な室堂。雷鳥平のキャンプ場が小さい。



立山燃ゆる

 
奥大日岳

 


別山乗越から劒岳

  別山乗越は立山と剱の交差点だ。地図を見るとここでは6本の登山道が交叉している。ひとつは南側の今登ってきた雷鳥坂。東西方向には縦走路、東へ向かえば立山別山、西へ向かえば大日岳。北側、眼下に見える剱沢に下る道が一本。そして劒岳に向かう道が2本だ。その2本のうち1本は剱御前を超えていく稜線沿いの道で、もう一本が剱沢への道と稜線との道のちょうど中ほどを通る道。

 稜線通しの道は歩きにくそうなので、僕は無難な中道を選んだ。豊富な残雪を前景にした剱の姿が良い。残雪の斜面をトラバースして剱山荘の分岐までは50分ほど。クロユリのコルから一服剱へ、いよいよ劒岳登山の核心部に突入していく。

 

本日の歩行コース(GPSによる記録)
国土地理院刊行数値地図50nメッシュを使用し数値地図ビューアで描画

 

 前後して歩いていた男性から、
「劒岳まではまだかかりますか?」
と尋ねられた。
「まだ2時間はかかると思いますよ」
と答えると、彼は怪訝そうな顔をして
「今、人が立っているところが頂上ではないのですか?」
と言う。
「それは前剱ですけど・・」
と僕。
「剱沢はどこですか?」
     おいおい・・・
と、こういう方もたまにおいでになる。
それでもなんとかなってしまうところが北アルプスなのであるが。

 前剱への登りはじめはごろごろした岩の道で歩きづらいが、そのうちに完全に安定した岩場となる。登山道に「鎖」は見え始めるのもこのあたりからだ。「鎖」は恐らく最近付け替えられたのだろう、ステンレス製でピカピカだ。取付けもしっかりしており安心感がある。

 前剱山頂で一服。もう剱は目の前だがまだまだ厳しい道のりは続く。一旦下って平蔵のコル「平蔵」だの「長次郎」だの、剱周辺には人の名前がついた尾根や谷の名が目立つが、これらはみな初期の「ガイド」の名前である。彼らが開拓したルート上に由来した名が与えられているのだ。

 ここで二人組の男性パーティーを追い抜いた。二人とも70歳近いのではないだろうか、しっかりとした足取りだが、これからの岩場をクリアできるのか他人事ながら心配にはなる。

 ここからしばらく登りと下りが別ルートとなっている。岩場のルートですれ違いが困難だからだ。難所として有名なカニのタテバイは登りルート、カニのヨコバイは下りルートにある。一方通行とはいっても、スムーズに抜けられる人、てこずる人とさまざまだから、登山者が多いときには数珠つなぎになってしまう。今日はガラガラなので自分のペースで歩けるのが助かる。いや歩くというよりも攀じ登るというのが正解。


剱岳山頂


剱沢俯瞰

 9時30分、剱岳山頂着。明治40年7月、陸地測量部のメンバーが地図作成のために登頂を果たしたとき、人跡未踏と思われた山頂にはすでに修験者の登頂の形跡が残されていたという。いくら信心深いとはいえ、たいした坊さんである。もちろん当時の遺物は重要文化財に指定され博物館行きとなっているが、今もこの山頂には祠が立てられている。

 展望はまあまずまず合格点。白馬から3000mに近い稜線を連ねる後立山連峰。そして立山。その後ろに僅かに槍穂連峰がのぞく。そういえば穂高からこちら側を眺めたとき立山三山の上に僅かに剱岳の頭だけ見えていたことを思いだした。立山から南に向かう稜線上ではなんといっても薬師の大きさが目立つ。薬師も豊富な残雪でカールのなかはまだ真っ白だ。どこを見ても素晴らしい展望だからどこにどっち向きに座ろうか迷ったが、とりあえず後立山のほうを向いて座って一休み。

 帰りの道もまた悲しくなるほど長い。あまりノンビリもしていられないから下ることにする。前に登ったときはガスが濃く高度間を味わえず、それが心残りのひとつでだった。だからカニのヨコバイで、その高度感とやらを味わおうとじっくりと・・・
「うげっ・・・」
見なきゃあよかった。
足が凍りつくような絶壁であった。
「あはははは・・」
足がすくむってのはこのことなのね・・・

往路と同じコースをとってもつまらないので、少しばかり遠回りにはなるが、剣山荘に下って剱沢に向かう。剣山荘と剱沢小屋の間もほとんど雪上の歩行だった。剣沢小屋の前でテント場を眺めながら一休み、ちょっと横に・・・と思ったら熟睡。

 我に返って立ち上がり別山乗越をめざす。登り返しになるがさほど急ではない。登山道横の斜面の雪は消えたばかりで、ハクサンイチゲと思われる葉っぱが今それを広げようとしているところだった。葉っぱはかなり大きいから、まだ雪が積もっているうちからそれなりに準備をしていたものであろう。短い期間に花を咲かせ実を付けなくてはならない高山植物には下界の植物にはない苦労があるはずだ。もちろん苦労だなんて思っているわけはないが・・。


ハクサンイチゲかな?

 別山乗越からも往路とはコースを変え、雷鳥坂は下らないで、大日岳へと延びる稜線を新室堂乗越まで歩いてそこから下ることにした。そろそろ入山者も増えてきて雷鳥坂は騒がしい。それに比べてこちらは一人でノンビリ歩くことができる。花の豊富な稜線を、ときにジグザグを切りながらゆるゆると下ると小一時間で新室堂乗越。雷鳥平への登山道はまだ半分以上雪の中。踏み跡とところどころでている道を確かめながら下りてゆく。

 実はこの道を選んだのは、このコースをGPSに記録しておくという目的もあった。最終日、天気が良ければ暗いうちにここを歩いて夜明けを稜線で迎えたいというひそかな(何時も一人だからなんでもひそかだが)計画があったのだ。雪上の踏み跡は夜は非常に確認しにくいし遠目もきかず登山道の目標もつけづらい。だからGPSに記録させた線の上を歩いてゆけば間違いないやと思ったのである。ただ残念ながら記録はしたが今回はそれを使うことはなかった・・・最終日は朝から雨だったからだ。晴れてても寝坊したに違いないが。

 午後になってからは立山三山も雲の中に埋もれがちとなり、夕方の撮影は全く期待していなかったのだが、なんだか天気が回復してきた。こうなってくるとテントでノンビリしているわけにはいかない。居眠りや寄り道のせいで時間もない。雷鳥平でも立山三山の夕照は撮れるが、どうせならミクリガ池あたりまで行きたい。テントに戻って装備を35mmからシノゴに入れ換え、室堂に向けて再出発

 5時・・山はすでに夕食時。小屋や、キャンプ場に急ぐ人とすれ違いながら室堂へと登っていく。カメラマンの姿はちらほら見かけるが三脚を据えて撮影体勢をとっている人は雷鳥平とミクリガ池の間でほんの数名で、意外なほど少ない。

 途中でまだ夕焼け前の立山三山をシノゴに収める。ところがその後三山に雲が掛かり始めてしまう。ミクリガ池の展望台で三脚にシノゴを据えたまま夕暮れまで待つが雲は取れない。振り向くと奥大日岳にかかる雲が赤く色づいている。35mmで一応それを押さえておく。


暮れる奥大日岳

 立山三山は諦め、機材を畳んで奥大日岳を気にしながらもキャンプ場に戻り始める。
「おおっ!」
眼下の地獄谷から立ち昇る蒸気が真っ赤に染まっていた
のだ。燃える灼熱の地獄谷。そしてバックは赤い雲の流れる奥大日岳・・・凄い。
慌てて三脚を立て、シノゴを組み立てる・・・
「あっ・・・終わっちゃった」
結局撮影には間に合わなかった。シノゴの機動力の無さもあるが、このシーンを予測できなかった自分の判断ミスでもある。立山三山をもう少し早く諦めてこちらに移動しておけばよかったのだ。こうして地獄谷は二度と燃えることはなく陽は落ちていった。僕はがっくりと肩を落として機材を収納、キャンプ場への帰途につく。ベルボンマーク6が肩に重い。

 今日は風呂に入る時間は無い。飯食って寝る。

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